催眠の歴史
概要
別名
大まかな歴史[1]
紀元前、エジプトの壁画に残る。
18世紀、フランツ・アントン・メスマーによる心理的な介入による疾患治療。現代臨床心理学の源泉。ラポールの造語。音楽療法、集団療法のさきがけ。
1784 年、ルイ16世が組織した王立調査委員会がメスマーの主張する磁気流体の存在を否定。
ロンドン大学の医師、 John Elliotsonが動物磁気術を継承。
1820年、フランスの動物磁気術師 Étienne Félix d'Henin de Cuvillersが、ジェー ムズ・ブレイドに先立ち、hypnotique, hypnotisteなどの用語を既に使っていた。
1843年、スコットランドの外科医、ジェー ムズ・ブレイドが『神経催眠学(Neurypnology)』を発表。「催眠術(hynotism)」「催眠(hypnosis)」を造語。
1847年、外科医James Esdaileによる動物磁気術による麻酔なしの外科手術。
19世紀中頃、フランスの化学者、Michel Eugène Chevreulが不随意な意識化の振り子現象を研究。シュヴルールの振り子として残る。
1890年、米国心理学の創始者Willeam James が『心理学原理』で催眠を論じる。
1896年、実験に基づく心理学をライプツィヒ大学の Wilhelm Wundtが創始。『心理学概論』で催眠に言及。
精神医学者、Auguste Forel、Richard Freiherr von Krafft-Ebing、Albert Mooらが催眠を論じる。
神経学者ジャン=マルタン・シャルコーが催眠を病理現象の一種と捉える。サルペトリエール学派を形成。催眠の本質を暗示と考える、アンブロワーズ=オーギュスト・リエボー、イポリート・ベルネームらのナンシー学派と論争。 ウィーンの開業医、Josef Breuerが「催眠浄化法」を実践。ジークムント・フロイトが影響を受けて催眠療法を始める。
フランスのエミール・クーエが催眠に誘導しない覚醒自己暗示を考案。
ドイツではJohannes Heinrich Schultzが自律訓練表を考案。
1906年、米国のMorton Princeが催眠の研究をおこない、二重人格の症例報告。
催眠術の影響を受けた Mary Baker Eddyがクリスチャン・サイエンスを創設。
1933年、クラーク・L・ハルが『催眠と被暗示性』で暗示の作用に対する理論を発表。
ミルトン H. エリクソン、グレゴリー・ベイトソンなどが活躍。
1957年(昭和32年)、アーネスト・ヒルガードがスタンフォード大学に催眠研究室を開設。
脚注
- ↑ 笠井仁「催眠の歴史」 in 『催眠心理面接法』(金剛出版, 2020)